本書は「ネット語」で訳されているのか?

本書の翻訳文体を特徴的だと思う方が少なくないようで、「ネット語で訳してくれている」とか「訳が2ちゃんねる風」とか表現する方もいます。この表現は、まるっきり間違ってるとも言えませんが、やや誤解を招くところもあるので、ここで少し補足説明させてください。

確かに、本書の訳文の中にネットスラングが多用されています。その認識自体は正しいです。でも、そうしているのは、あくまで原文でもネットスラングが多用されている、ネット上の会話の引用部分だけです。つまり、訳者星水がやったのは、

英語のネットスラング ⇒ 日本語のネットスラング

という変換だけであって、よくある翻案物とか「超訳」とかみたいに、原文と無関係に、「ネットの話だから、『ネット語』で訳しちゃえ!」みたいに、たいした必然性もなく面白おかしく遊びでやったわけではありません。そこは誤解しないでいただきたいと思います。地の文は常識的な「常体」で訳していますし、ネット以外の会話の部分は、人によってそれぞれ口調を変えて表現しています。決してすべて「ネット語」で書かれているわけではありません。

英語圏の文化にあまり馴染みのない方からすると、英語にもネットスラングがある、ということ自体、あまりピンと来ないのかもしれませんが、実はその辺の事情は、訳注を細かく読んでいただければ、ある程度想像がつくようになっているはずです。そのようなネットスラングの部分には、しつこすぎるかと思うほど細かく訳注をつけていますから(それを面白がってくれた方もいるようです)。また、訳注には書ききれなかった部分は、このサイトの「用語集」でさらに詳しく説明しています。

日本語のネットスラングを馴染みにくいと思う日本人読者の方がいるのとまったく同じように、英語のネットスラングもネット文化に馴染みのない保守的な英語ネイティブにとっては読みにくいものなのです。だから、本書の原著を読んだ英語ネイティブの中にも、そういう英語のネットスラングを多用したネット会話の引用部分を読みにくいと感じた人はたくさんいたはずです。

ではなぜ原著者は、そのような一般読者にとって必ずしも読みやすいとは言えないネットスラングを、修正もせずそのまま引用したのでしょうか。これはあくまで訳者星水の想像ですが、おそらく著者は、そのようなネットスラングが多用される会話の雰囲気も、読者に伝えるべきネット文化の一部であると考えたのでしょう。もちろん、引用部分はできるだけ正確に引用したいと考える、研究者としての訓練を受けた人なら当然の理由もあったでしょう。

そのような原著者の意図をできるだけ忠実に反映するにはどうすればいいかと考えて、本書の翻訳では、英語のネットスラングを日本語のネットスラングに変換するという方法をとったわけです。

また「本書の魅力」で訳者星水が指摘したように、あるいは、「メディアの反響」で多くの評者が指摘しているように、本書の大きな魅力の一つは、ダークネットの背後にいる人物を生身の人間として描き出しているところにありますが、生身の人間が話していると読者に感じさせるためには、話し言葉独特のニュアンスも無視できない要素です。公共放送のアナウンサーのような無個性な口調で話す人間ばかりでは、そこから「人間味」を感じ取ることは難しいでしょう。

ですから、著者の意図を最大限に尊重する上でも、本書の魅力を最大限に引き出す上でも、この方法が最適であると訳者星水(および版元の編集者さん)が判断したということです。

(これは内輪の苦労話になりますが、実はこの変換は結構大変な作業でした。というのも、このような英語のネットスラングの多くは、普通の英和辞典にはもちろん載ってないし、普通の英々辞典にも載っていないし、専門用語辞典にすら載っていない。だから、その意味を理解するにも、ネット上の実際の用法を見たりして理解する必要があります。意味が理解できても、さらにそれと同じような意味の日本語のネットスラングを探さなきゃなりません。これは意味と意味を対応づける作業ですから、字と字あるいは音と音を対応付ける作業のように、機械的に処理する方法はないのです。だから、「2典」のようなネットスラング辞典を眺めながら、似た意味の言葉を必死に探したりするわけです。辞書を引けば訳語が載ってるような言葉の翻訳より手間がかかることがわかっていただけるでしょうか。おそらく、本書の翻訳の中には、日本中の翻訳者がいまだかつて誰一人として訳したことのない言葉の翻訳も、いくつか含まれていると思います。)