話し言葉と「役割語」問題

先ほど指摘したように、本書の魅力の一つは、関係者に直接インタビューして聞き出した生の会話です。したがって、話し言葉の会話文が多数引用されており、その部分の翻訳、特に会話のリアリティをできるだけ再現することには気を遣いました。

小説などの翻訳ではよく、「あたしは…だわ」「わしは…じゃよ」みたいな口調の人物が登場し、現実にそんな喋り方の奴いるか? と批判されます。このような現実にはあまりないステレオタイプ化された女言葉や老人言葉などを、「役割語」と呼びます。

ただし、これが単なる偏見の産物か、というと必ずしもそれだけではありません。特に文芸作品の場合、「…と彼は言った」「…と彼女は言った」のように、いちいち話者が誰かを説明する手間を省いて、会話の内容だけで話し手を特定できるようにする意味があります。

ただ、上でも指摘したような会話のリアリティという意味で言うと、このような口調にリアリティがあるとは言いがたいでしょう。むしろ、デフォルメや記号化の要素が大きいと言えます。

でも逆に、あらゆる登場人物に公共放送のアナウンサーのような無個性なしゃべり方をさせればリアルになるのか、と言ったらそうではないですよね。やはり、生身の人間の話し言葉には、いろんな個性の違いがあることは否定できません。純粋な個人の癖もありますし、方言の差、業界用語の差、世代による流行の差などにより、話し言葉にはさまざまなバラエティが生じます。だから、現実の人間の話し言葉は、誰一人として同じでないと言ってもいいくらいです。

だから本書の翻訳ではリアリティを重視して、露骨な役割語は避けていますが、かと言って全員に同じ喋り方をさせるわけではなく、口調を一人一人微妙に書き分けました。

ただ、翻訳の場合に問題になるのは、原文の口調から自動的に訳文の口調が決まるわけではない、ということです。もちろん、英語にもいろんな口調のバラエティはありますが、それが日本語の口調のバラエティと一対一に対応するわけではないのです。

これは具体的に考えてみればすぐわかります。たとえば、アメリカ南部の方言を日本語に訳さなきゃならないとしましょう。同じ南部という地理的共通点から考えて、九州弁に訳すというような方法が考えられますよね。でも、同じ本の中にイギリス南東部のコックニーを喋る人も出てきたらどうします? 琉球弁にでも対応させますか? さらにヨークシャー訛りの人が出てきたら? オーストラリア英語を喋る人も出てきたら? どんな対応付けをしてもこじ付けにしかならないのは明らかですよね。

だから、異なる言語の口調を対応付けるというのは、ABCとアイウエオを対応付けるようなもので、絶対に一対一には対応しないのです(ABCとアイウエオというのはあくまで比ゆであって、英語より日本語のほうが口調のバリエーションが多いと言ってるわけではありません)。

これは賭けてもいいですが、他の翻訳者の方にアンケートにアンケートをとって聞いてみても、おそらく、純粋に原語の口調だけから訳語の口調を決めているという人はいないはずで、絶対に、話し手のいろんな属性とか、他の条件を勘案して決めているはずなのです。だって、原理的に不可能だから。

日本語の話し言葉には、「だ・である」の「常体」と「です・ます」の「敬体」の二通りがあります。でも、英語の話し言葉は、こんなにスパっと二通りに分かれるわけではありません。もちろん、フォーマルとインフォーマルとか罵倒語と丁寧語の区別とかはちゃんとあるので、ある程度対応付けることができないわけではないけれど、排他的に二通りに分けられるわけではありません。

本書の終章に出てくるゾルタン氏とゼルザン氏なんかにしても、ゾルタン氏には敬体で喋らせ、ゼルザン氏には常体で喋らせてますけど、これも純粋に原語の会話の内容だけから決めたわけではありません。各人の年齢や性格など、いろんな属性を勘案して決めています。この二人は実在の有名人なので、人物像のイメージを掴むため、YouTubeの講演動画まで参考にしました。

これは逆に言えば、純粋に会話の内容だけから口調を決められないからこそ、口調によって人物像を歪めたりすることを避けるため、できるだけいろんな情報を参考にしなければならないし、可能ならば原著以外の情報源すら探さなければならない、ということなのです。

本書には女性もたくさん出てきますが、「あたし…だわ」みたいな露骨な女言葉はほとんど使っていません。でも、必ずしも男性とまったく同じ喋り方をさせているわけでもなく、多くは中性的なやわらかな喋り方をさせています。

ただし、露骨な女言葉を使っている人物も二人だけいます。第6章「ライト!ウェブカメラ!アクション!」に出てくるUtherverseの娼婦ジュリアと、第7章「ウェルテル効果」に出てくる看護士のカミです。前者は年配の女性が仮想世界で演じている娼婦ですし、後者は実は男性が演じているネットオカマです。演じているなら逆に不自然なわざとらしさがあるだろう、と考えて意図的に露骨な女言葉を使わせてみたのですが、まあ、そこまで気づいてくれる人はあまりいないでしょうね。